前回の
【滝山城址公園散策|第四回 金毘羅社を訪れる】
に引き続き、
今回は、滝山城址公園散策シリーズ最終回の、「霞神社」をお届けします!
(使用カメラPanasonic LUMIX DMC-G1)
↓↓霞神社は、前回の金毘羅社のすぐお隣にあるのです。
横をみたら、すぐに見えてきます。
ところで、神社の名前の「霞(かすみ)」・・・八王子北部は、加住(かすみ)丘陵とも呼ばれるので
それと関連があるのでしょうか・・・・?
↓↓金毘羅社のほうから向かうと、霞神社の背面のほうに到着する感じです。
そして、背面にはこのような石碑が建てられています。
↓↓石碑の正面です
若干読めない文字がありましたが、内容を書いておきたいと思います。
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碑銘
水明雲を碧く多摩川秋川の上流
銀砂を洗い微風うららなる
滝山古城址のほとり
萌えいずる尊のみとりを踏みもゆき
暢和の気四方に満つ
わが故山碑 いまぞなりぬ
仰げば人類平和と民族興隆の
聖なる道 ここにあり
一筋の純情と勇気を祖国に捧げし
生命の栄光 燦として輝く
幾山河隔てし いくさの庭に
星しげき曠◆(こうばく?)の野に
心頭を○○す父母の名と望郷の感
かりそめに思いいずべき
うべや 身もついにかしこに
招魂壺百四十四柱 永遠に鎮まりいます
われ等ここに来りて碑を仰ぐ
感慨も げにそぞろなるかな
昭和三十三年五月
霞神社銘碑建設協賛会
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↓↓銘碑建設の芳名がのせてある石碑です。このあたりは、石碑がたくさんあります。
↓↓霞神社の由来書きです。
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霞神社由来
明治三十七 八年戦後(日露戦争)に 武勲を樹て
散華された英霊を 奉斎せん為 明治四十五年五月一日
当時の在郷軍人會加住村會の首唱によって 史蹟である
北條氏照の居城滝山城址本丸跡を卜し 神社を創建して
霞神社と称した
この時に奉斎の英霊は十五柱で 爾後 毎年 盛大な
慰霊顕彰の祭典が 奉仕され来った 昭和の御代となり
満州事変 支那事変及び大東亜戦争に出征し 戦功を
挙げて 戦没された弐百二十九柱の英霊を 更に 合祀して
今日に至った。 今回八王子市合併を機とし 加住地○遺族會が
発起して 設立された滝山霞神社銘碑建設協賛會により
ここに碑を建て 霞神社御祭神芳名を録し その勲功を
永久に伝えんとするものである
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とのことでした。
↓↓こちらが、社殿正面です。とてもきれいな社殿でした。
↓↓木製の扁額に「霞神社」と縦書きされています。
参拝させていただきます。
↓↓霞神社の境内下の脇のほうにまた別の石碑がありました。
「多摩川の風吹上きて夏木立」でしょうか・・・
沢井益三氏という、かつて加住村の村役場に奉職し、滝山城氏を世に紹介することに
奮闘され、公園内の施設設置や復旧に尽力された功労者なのだそうです。
↓↓正面からみた神社です。
↓↓本丸の片隅には、このような石碑もありました。
さて、五回にわたって滝山城址公園をご紹介してきました。
春には桜が咲き乱れ、
すべての季節にわたって、自然や多摩川の景観を提供してくれる
とてもすばらしい公園だと思いました。
八王子の歴史散策をするのにもぴったりです!!
◆高月町の「滝山城址公園内 霞神社」
【住所】
東京都八王子市高月町
【ご祭神】
戦没者の英霊
【地図】
大きな地図で見る
それでは今回はこの辺で!
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このブログ、ものすごい八王子データベースになってきましたね!
すでに、後生に残すべき財産になって
きていると思います。
引き続き、“踏破”がんばってください♪
この霞神社の石碑には「村内賢造」さんという
方の名が刻まれているんです。
↓↓↓↓↓
http://murauchi.info/weblog/2010/07/photo_hachioji_takiyama.html
僕との関係は不明ですが(笑い)