『全4回 特集:八王子「絹の道」を偲ぶ』
前回の
【特集:八王子「絹の道」を偲ぶ|第三回 小泉家屋敷】◆八王子八十八景◆
に引き続き、
今回の第四回目(最終回)は鑓水の「諏訪神社」を訪れました。

(使用カメラPanasonic LUMIX DMC-G1)
諏訪神社(すわじんじゃ)は、長野県の諏訪大社より祭神の勧請を受けた神社で、全国で約25,000社あるそうです。
諏訪大社の祭神は諏訪大明神ともいわれる「建御名方神」とその妃である「八坂刀売神」の2柱なのだそうです。
↓↓前回の小泉家屋敷から「絹の道」に少し戻るような感じで10分ほど歩くと、静かな山あいの奥まった場所に諏訪神社がみえてきました。

鑓水の諏訪神社は創立の年代はあきらかではありませんが、
寛政10(1798)年に再興されたそうです。
この地方の生糸商人がこちらの諏訪神社に多額の寄進をしたという記録が残っています。
明治9(1876)年、諏訪神社・八幡神社が合祀して、現在の姿になったとのこと。
↓↓民家の間の細い路地を登り、赤い鳥居をくぐって進みます。

↓↓階段の上にはちょっとした広場がありました。

↓↓こちらは、神楽殿でしょうか・・・。

↓↓広場からさらに急な階段を登りきると、ようやく拝殿が見えてきました。

↓↓案内板です。

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市指定有形文化財
諏訪神社社殿 四棟 付 棟札など 七点
?子の権現旧本殿 江戸時代中期 建立(推定)
?子の権現本殿 寛政四年(1792年)建立(文書)
?諏訪神社本殿 寛政十年(1798年)建立(棟札)
?八幡神社本殿 明治十八年(1885年)建立(造立者銘板)
諏訪神社は、明治十年に諏訪・子の権現・八幡の三社を合わせたものである。これら四棟の本殿からは、江戸時代中ごろから明治時代にかけての江戸の建築様式が、八王子周辺に伝わった様子をうかがうことができる。
これらの本殿の建立には、横浜と輸出用生糸の交易を行った「鑓水商人」がかかわり、子の権現・諏訪・八幡の各本殿の彫刻は、鑓水における幕末から明治にかけての経済的高まりを表している。
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↓↓どの建物がどの社殿にあたるのかは、この場では分かりませんでしたが、敷地内にはいくつかの社殿があります。

↓↓こちらは、山を少し登った場所にある社殿です。

神社の敷地内には、
このほかに幾つかの石碑や鑓水商人が奉納した石灯籠もあり
昔反映していた頃の面影を少し感じることができます。
↓↓ところで帰りのみちすがらに目にした
鑓水「蛍の里」ビオトープ
鑓水蛍の里再生プロジェクトの会
という立て看板が立っていました。
確かにこの辺は蛍の生育には良い環境かもしれません。
こういうのを見るとなんだか応援したくなってきますね。
是非再生した蛍の行き交う姿を見てみたいものです!

ちなみに「絹の道」にまつわる弁財天も八王子にはあるのです!
養蚕の天敵となるネズミを退治してくれる白ヘビを祀る
弁財天信仰が盛んになったという歴史の一幕がありました。
その場所は、以前訪れた
【打越弁財天に行ってみました】(おすすめスポット)
なのです!
さて八王子「絹の道」を偲ぶ散策は
これで終了です。まだまだ表現したりない部分はたくさんありますが、
”絹の道”、”絹の道資料館”、”小泉家屋敷”、”諏訪神社”・・・と、
八王子の養蚕の歴史をたどる一端を目にすることができました。
⇒【特集:八王子「絹の道」を偲ぶ|第四回 諏訪神社を訪れる】
◆鑓水の「諏訪神社」
【住所】
東京都八王子市鑓水1170
【地図】
大きな地図で見る
それでは今回はこの辺で!
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八王子はいろんな歴史があるのですね
八王子には自然が豊かな土地が多いので蛍が現れる場所がいくつもあるみたいですね(^-^)
二年前に美山町で一面蛍だらけの凄く素敵な幻想的な風景をみてから蛍にぞっこんなのですが去年、今年は蛍の数が少なくなっていました。たまたま、いった日にちや天候にもよるのでしょうけどまた一面の幻想的な蛍が見たいと願っていたので鑓水にも蛍がいることを知って得した気分です(笑)